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  3. 彫刻家・杉本準一郎さん・彫刻を通じて人の輪をつなぐ。

―― とても意義深い、すばらしい活動だと思います。その成功の裏には、常滑市の方や採石場の業者の方の協力もあったんですね。

杉本さん「僕はそんなお金を持ってないわけです。お金がないのにこんな計画はできるはずないと、一緒にやる人たちも思うでしょうね。でもね、一生懸命やると、人はやっぱり響いて、力を合わせてくれるんです。それは、ものすごいお金がかかってますよ。山から岩を何台ものダンプカーで下ろして海の端まで運ぶんですから。それを、“じゃあ、それはこっちに下ろしてよ、それはもうちょっと向こう!”とかね、わけのわからん兄貴が言うことを、みんな“おお、そうか”なんて聞いてくれるんですね(笑)。そこにみんなが来て彫刻をやるというね。石の代金も全部タダでね」

―― えっ、タダで協力してくださったんですか。その時作った彫刻はどうしたんですか?

杉本さん「参加してくれた人たちはみんな、僕の家や僕が用意した宿舎に泊まって、ご飯は僕が作ったりみんなで持ち寄ったりするんですよ。でも、彼らにはサラリーはないじゃないですか。この1カ月や2カ月の間は収入がなくなってしまう。僕が用意するのは場所と、石と、機材や食事くらいだから。それでいいって言って来てくれるわけです。そうは言っても、一カ月後に“それじゃ、さよなら”というわけには、やっぱりいかない。みんな、家庭や生活があって、次の場所が必要なんです。だから、その彫刻は全部で15個くらい、全部売りました」

―― 全部売り先があったんですか?

杉本さん「急に作ったものを売るっていうのは無理です。だから、あちこち回って、“農協さん、この作品をどうですか”とか、常滑の街の人に”なんとか一つ、お願いします”ってね。その作品を見合う値段で買ってもらって、そのお金を皆さんに持って帰ってもらいました。作品は全部行き先があったし、おまけにみなさんには1カ月のアパート代になるくらいは持って帰ってもらったんです。それで、ちっちゃな本もつくりました。インドやネパールから来た人たちも、そういうやり方を見て、“こうやれば、自分たちの夢をどこでも実現できるんだな”っていうことを知ったんです」

中部国際空港の埋め立て予定地で行われた「世界へ。」シンポジウムで、大小の岩を運び配置してくれた採石会社の作業員の方々と一緒に。

このシンポジウムの後、2003年には日本・インド国交樹立50周年事業『HARMONY彫刻シンポジウム』がインドのデリーで、2006年には日本・ネパール国交樹立50周年事業『HARMONY彫刻シンポジウム』がネパールのカトマンズで開かれた。どちらも、杉本さんは日本側代表主宰を務めている。これらは、かつて日本で杉本さんと一緒に彫刻を作ったりシンポジウムに参加したりした人たちがそれぞれの国に帰り、シンポジウムを立ち上げて「ぜひ杉本さんと一緒にやりたい」と声をかけたものだという。杉本さんから学んだ人たちが、それぞれの夢を実現したということだろう。

その後もインドとネパールとは、頻繁に彫刻制作を通した交流を重ねている。2008年に岐阜県関ケ原にある『人間村』で国際彫刻シンポジウム『アジアの苑』を立ち上げたり、2012年にはネパール・ヘタウダでの国際彫刻シンポジウム、2013年にはネパールのパタン王宮(世界遺産)で行われた芸術文化交流会で日本側主宰を務めたりした。コロナ禍の2020年にもネパールでシンポジウムを開くなど、今でもネパールやインドとは活発な交流が続くが、初めてインドで彫刻のシンポジウムをした時には苦労もあったという。

杉本さん「インドやネパールでシンポジウムをやったときには、そういう(美術品を買うという)ことがあまりないわけだから、大変だったよ。日本よりもうんとゆっくりしている国で、現代美術に対してお金を出してくださいというんだから。そのためにインドやネパールに何度も行きました。インドのデリーで、僕と一緒にやりたいと言ってくれた人と一緒にバイクに乗って街の中をお金集めに回るわけですよ。日本の企業があったら、“こんにちは”といきなり訪ねていくわけです。でも、絶対会わせてくれんわね、そんな怪しいやつにね(笑)。だから、“じゃ、また来る”って。それを何度も繰り返して、そのうち“まあ、いっぺん会ってみるか”と言ってくれて。それで話をすると、“じゃあ、今、地下鉄作ってるから、そこのクレーンはひと月間貸しましょう”となってね。インドでシンポジウムをしたときに石や木を動かしたのは、そういう風にしてみんなから協力してもらって借りたんですよ。こうやるんだよということを、インドの人もネパールの人も一緒に勉強するんです」

―― そのとき一緒に活動したインドやネパールの人は、以前日本でのシンポジウムに集まった人たちですか?

杉本さん「はい。海外から日本に留学していて、常滑の僕のところに来てた人たちです。中でもインドの人は、大学よりも杉本のところの方が面白い、勉強になると言ってね。卒業証書も認定証も何もないんだけど(笑)。杉本学校の方がいいから、と来てくれて。国に帰ってから、今度は彼が呼んでくれてね。それで、僕はデリー大学に呼ばれて彫刻について講演をしたんですよ! プロフェッサーでもないのに(笑)。日本の高等学校の美術の先生が、デリー大学で講演をね。そこの教授や助教授が疑心暗鬼で、“本当に大丈夫か”って感じでしたね。でも、公演が終わって、“いいなあと思った人は、今晩、デリーの僕の宿に来てくれ”って言ったら、20人くらい来ましたね。“一緒にやりたい”といって。それで、もう火が付いたらそのまま走り出したわけです。“俺のおじさんはクレーンを持ってるから借りてくる!”ってね。そうやって、膨らんでいくんです」

杉本さんの国を超えた活動は、アジアを中心にさらに広がっている。2010年には、イタリアで行われたトロント市と常滑市の共同主催国際彫刻シンポジウム『Scultura Vita』の日本側主宰としても活躍した。一方、国内でも愛知県を中心に各地を飛び回り、展覧会や屋外でのシンポジウムを開催している。杉本さんが行うシンポジウムは、常に人の輪を作り、それが次の輪へとつながっていく。でき上る作品はもちろん、それを作成する過程で生まれる人とのつながりを、杉本さんはとても大切にしている。

杉本さん「シンポジウムではいろいろな国の人が来てね、それぞれのスタイルで作品を自分で作るんだけど、お国柄とかやり方も違うんだよね。自分で指示だけして全部アシスタントにやらせる人とか(笑)。シンポジウムやってるとね、どの国でも子供たちが絶対に見に来るんですよ。それで、最初に“邪魔だ、あっちへ行け”というと、もうそういうところには集まらないんです。ところがね、ちょっとおもしろい話したり遊んだりするとね、“あのおっさんのところ行くと面白い”って口コミで伝わって、たくさん集まってね、その対応が大変なんです(笑)。面白いんですけどね。この間も僕のところにだけ、子どもがみかんの大きいのを持ってきてくれてね、その子たちのお母さんまで集まっちゃって“日本のスギモトは面白い”って、サモサを差し入れてくれたり、みんなで写真撮ったり、夜に一緒に飲みに行ったりね。それが、いいんですね。その分、次の日が大変なんですけど(笑)。そうやって、ものを理解してもらうためには、経歴が立派だとかいうことではなくて、“あのおっちゃん、一緒に作って面白かったな”というのも、重要なんです。僕がいないときにも、(彫刻に)鳥や牛の糞が付いたら、拭いておいてくれたり、草を敷いておいてくれたりとかね。それが、シンポジウムのいいところですね」

―― 日本でも毎年シンポジウムをされていますね。特に印象に残っているものはありますか?

杉本さん「2006年から2008年くらいにかけて、毎年夏に、せきがはら人間村で子供を対象にしたシンポジウムをしていたんです。その中で、群馬県立女子大学の高橋綾(たかはし りょう)先生と一緒に行った企画がありました。子供たちに簡単に作れる風車を作ってもらって、彫刻が置いてある広場いっぱいに風車を飾ったんですよね。そうしてね、そこに風がさーっと吹いてくるとね、向こうの方から順番に風車が動いて、カラカラと回るんですよ。そうすると、見えない風が目に見えるわけですね。シンポの会場で、風が見えるということを子供たちに体験してもらいました。」

―― 杉本さんのシンポジウムは、彫刻を作成したり鑑賞したりするだけではないんですね。

杉本さん「そうです。それから、大きなダンボールボールを作ったときもあってね。子供たちがダンボールを家から持参してシンポの会場に通って、ダンボールをギューッと丸めたものを削ってボールを作ったんです。そのボールで、サッカーをみんなでしました。シンポジウムが終わった後、“余った段ボールはここに捨てていってください”って、箱を用意したんです。だけど、1人の子が「ぼく、これ持って帰ってまた何か作る」って言ったら、ほかの子たちも、ぼくも、わたしもってね、みんな、余った段ボールの端切れを持って帰ったんです。それまでは、ゴミとされていた段ボールを、これで何か作れるんだと思うようになったんですね」

―― 杉本さんから、とくにそういうメッセージを伝えたわけではないのに、子供たちが、シンポジウムを通して自分たちで気づいた、ということですか?

杉本さん「はい。こっちがこれを教えようとするのではなくて、どこへ行くかわからない、それがシンポジウムの面白さなんですね。子供だけじゃなく大人も同じです。せきがはら美術館でやった別のシンポジウムでは、インドから作家が来るからインドの踊りをやろうということになって、12、3人ぐらいの職員が仕事の終わりに一生懸命踊りを覚えて、シンポジウムで披露したこともありました。それから、これはネパールで行ったシンポジウムですが、日本の食べ物を振るまおうと、五平餅大会をやったんです。日本からもち米や胡麻みそだれなんか持って行きましてね。ブロックを2列並べた間に火を起こして、長い焼き鳥屋みたいにね、棒に刺した五平餅を並べて焼いて。そうしたら子供たちよりも大人が夢中になっちゃってね(笑)。もう、子供そっちのけで大人たちが五平餅を楽しんでいましたね」

杉本さんは、シンポジウムの真の評価は作家の肩書や経歴、過去の活躍などに関係なく、、参加した人が何かに気づいたり、何かに夢中になったりして「今の宝物を作る」ことだと語る。そのスケールの大きさは、杉本さんの作品からも感じられる。

同じく2008年夏せきがはら人間村でのシンポジウムにて、インドの舞踊を練習し、披露した職員の皆さまとインドからのゲスト。おもてなしの心から温かい交流が生まれた。こうした新たな試みへの広がりこそ、シンポジウムの神髄なのだろう。
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