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  3. 彫刻家・杉本準一郎さん・彫刻を通じて人の輪をつなぐ。

大学よりも面白い!
留学生を魅了したスギモト流シンポジウムの教えとは?

杉本さんの屋外で木や石を彫るというスタイルは、学生の頃、初めて作品が上野の美術館で選ばれた時からずっと一貫している。屋外での作業は、人の目を引き、人を集める。杉本さんの作品は、その制作過程で学生や卒業生だけでなく、町の人たちなど多くの人を巻き込み、つなげていくのも大きな特長だ。

ポカラでのシンポジウムで出会った仲間たちと一緒に。杉本さんの周りはいつでも多くの人の笑顔であふれている。

杉本さん「その頃、愛知県立芸大にインドやネパール、サウジアラビアなどいろいろな国から彫刻の勉強に来ていた人たちがいて、彼らも僕のところにきて、一緒にいろいろと制作をしました。彼らが国に帰ってから、日本とインドとの国交樹立20周年の際には、イベントとしてデリーで野外の彫刻をやりましょう、杉本先生と一緒にやりたいと言われ、デリーに呼ばれて行ったんです。その次にはネパールの学生も“僕はネパールでやるんだ”というので、じゃあみんなで行こうとなってね。そんな仕事もありました」

若い日の杉本青年が、作品の制作過程で多くの人との交流を持つことで生まれた人の輪は、地域や国を越えてつながっていく。後年、それが国際的な活躍として花開くのだが、その裏には職場である常滑高校の先生方など、周囲の人の理解や支えがあったという。

杉本さん「シンポジウムなどに参加する時には、僕は学校を休むわけです。一週間やそこらじゃないですね。プロジェクトだけじゃなくて準備期間も含めますから。“僕、今からインドに2カ月行ってきます”って言ったら、校長先生は“うん、行ってこい。行ったらまた、情報を持って帰って来いよ”と言ってくれて。日本から6~7人を連れてアジアへ、カナダへと広がっていく。それが、僕のものの教え方であると同時に、自分の彫刻制作としてやってきたことです。だから、いろんな人がいっぱい関わって手伝ってくれて、今はそこで関わった若い芸術家が日本のあちこちにいるんです」

―― では、学校では子供たちが、世界を飛び回る先生を待ってくれていたんですね(笑)

杉本さん「本当にそうですね(笑)。みんながいろいろと支えてくれました。それに、学校だけでは足りないので、常滑の中で広い場所をアトリエとして貸してくれた人がいて。その人は、“君がやりたいならここで、多くの人と一緒に好きにやりなさいよ”と。僕が“時間がかかりますよ”と言ったら、“うん。俺が死んだら息子に言うとくから”って。で、その方が亡くなった後、息子さんの代になったら、やっぱり“ここにいていいよ。好きにやってね”と、親子二代にわたって僕のことをサポートしてくれているんです。学校を辞めた後も、そのアトリエがあるから続けられたんです」

―― ご自宅をアトリエとして貸してくださったんですか! それはどのような方だったんですか?

杉本さん「常滑学校の社会の先生です。“お前、大変だなぁ。俺の家の空いているところを使え”と。そういう人に会えたんですね。その頃、27歳ですか。それから今まで、その人のおかげで広い場所で石を彫って、友達が来たり人が集まったりするような制作も繰り広げてきました。こんな幸せなことはないですね。他にも、校長先生やいろんな先生や地域の人が、僕のことを“なんかやっとるなぁ”と気にかけてくれて。近所のおばちゃんも、そうだったんですよ」

―― 近所のおばちゃんですか?

杉本さん「学校が終わってから、そのアトリエで彫刻をやるんですね。学校で6時か7時くらいまで仕事をして、そこからアトリエに入って、野外で石を彫るわけです。そうすると、埃が出たり、ガンガン、バリバリバリーっと音がするじゃないですか。夜中11時くらいまで作業することもざらにあるんですね。そうしたら、近所のおばちゃんが来てね。文句を言われるかと思ってたら、“先生、いいよ。私、独りで住んでるからね、あなたがゴソゴソやってるとね、ああ、杉本さんまだ仕事しとる、と思って安心して寝られる”と。“静かな中で一人で居ると、大変な人生のこといろいろ考えてしまってね。でも、隣であの兄貴が夜もごそごそしてると思えるからね、騒音じゃないよ”と言うの! 実際はやかましいと思うよ。でもそのおばちゃんはそう言ってくれるわけ」

―― それは粋ですねぇ(笑)。

杉本さん「そうでしょ(笑)。それにね、そこは400坪くらいあるんですよ。それだけ広いもんだから、夏は草がいっぱい生えてくるんですね。そしたら、また別のおばちゃんがね、“あんたは一生懸命彫刻を作らないかんのだから、草刈りは私がやります”ってね。僕が学校に行っている間に草刈りをしてくれるんです。そういうことが、もう何べんも、何べんも、あるんですよ。」

杉本さんが語るこうしたエピソードから、彼自身や彼の作品がどれほど地域の人たちに愛されてきたか伝わってくる。こうして、工業としての焼き物の技術と、「人と一緒に仕事をする」ことのすばらしさを高校の生徒をはじめ、周囲の人たちに身をもって教えてきた。そのような人と関わりも、杉本さんの作品の一部なのだろう。

2000年に常滑沿岸部で行われたシンポジウム「世界と。」のパンフレット

アトリエ以外でも、杉本さんは県内を中心に、自ら多くのシンポジウムを主宰してきた。杉本さんが主宰するシンポジウムはいずれも制作過程を公開し、そこに生きる人々との対話を大切にしている。そこからその地に根付く文化やアイデンティティなどを自分なりに意識し、作品に反映させるという。それが顕著に表れたシンポジウムの例が、1998年に愛知県の中部国際空港建設予定埋立地で行われた【常滑から『世界へ』彫刻シンポジウム】と、2000年に常滑ヨットハーバーで主催された【常滑から『世界と』彫刻シンポジウム】だ。この2つのシンポジウムについて、開催したいきさつや当時の様子について伺った。

2000年に常滑沿岸部で行われたシンポジウム「世界と。」のパンフレット

―― 中部国際空港の建設予定埋立地で行われたシンポジウムは、どこかから依頼があって開催されたんですか?

杉本さん「いえ、そういう話はありません。シンポジウムの言い出しっぺは僕です。毎日海を見ていて、だんだんここに飛行場ができていく。その海には魚がいっぱいいるわけですよ。人だってたくさんいる。その風景の中に大きな飛行機がゴォォォォっと来ると思うと、まあ、ぞっとしますよね(笑)。僕も乗りますし、便利なんですよ。便利だけども、その自然は絶対に破壊されます。人間は破壊せずには生きていられない、いい加減な動物だから。そこで、じゃあどうしたらいいか、という話なんですよ」

―― 確かに、そうですね。

杉本さん「海の中に島を作るには、まずは岩を投げ込むわけです。中部国際空港の場合は、三重県の尾鷲というところから山を砕いてその岩を運んで、伊勢湾の真ん中に投げ込んだんです。そこで僕は、尾鷲の山に行って、石を採っている業者の人と話をして“僕に石をください”と。何をするんだと聞かれたんで、“あなたが作ってる飛行場の下には、こんなに多くの石が埋まってて、自然が壊れていく中で飛行場ができていくんです”と。“そのことを感じとってもらえるよう、シンポジウムをやりたい”と言って、手を上げたんです」

―― そういういきさつだったんですか! それで、どんなお返事だったんですか?

杉本さん「わかった、俺んとこの石を欲しいだけやる、と言われました。それで、10トンダンプを11台、次々に往復して、埋め立てただけでまだ何もない、草も生えないところに大きな岩を置いてくれました。そして彫刻のシンポジウムをやるぞ、とこの指とまれで人を集めました。集まったのは、ぼくの教えた子が8割か9割くらいですね。それが『世界へ』というシンポジウムです。この島が、世界へ広がっていく彫刻家や造形家の出発になるんだよ、という意味を込めて」

―― 彫刻家自身が世界へ羽ばたく、という意味なんですね。

杉本さん「そうです。で、『世界と』では、埋立地を支えている沿岸部、浜でやろうということになって、インドやアメリカから関わりのある人に来ていただきました。今度は地元の幼稚園や保育園の方々も一緒に、石だけじゃなく焼き物もやりましょうとなった。で、スイミーの話があるじゃないですか、小さな魚が集まって、大きな魚の姿を作る話。あれをみんなでやろうということで、幼稚園や保育園の子供たちがこんな小さな魚をたくさん作ってね、それを一匹のでっかい魚にすることをテーマにした。『世界と』ということで、いろんなところから人が集まってきて、インドの人やアメリカの人が石の彫刻を作るし、焼き物を作る人もいるし、こっちでは子供たちが小さな魚を作るし、大騒ぎをしてね。“ああ、ここに飛行場ができたな、魚はどこに行ったんだろうかな”とか、“遠くの山が一つ砕けたんだなぁ”とか、そういうことは僕が言わんでも、見た人が何を考えるか、というね。そういうことが、芸術家の仕事じゃないかなと思っているんです」

―― そんなメッセージがあったんですね! 驚きました。そのシンポジウムへの反響は、何かありましたか?

杉本さん「オープニングにね、常滑市のお偉いさんが来てくれて、祝辞を述べてくれた! その前の小さなシンポジウムでは市長さんが来てくれたこともあります。市からはお金や支援は一切もらってないんですよ。でも、シンポジウムで挨拶をさせてくれって。飛行場を作るときには、いろいろ(賛成も反対も)あったんです。それはみんな分かっている。わかっていても、できなかったことがいっぱいあるんですね。その、できなかったことをね……」

飛行場のような大きな施設の建設は、多くの人の生活や人生に少なからぬ影響を与える。歓迎し喜ぶ人がいる一方で、苦しみ、悲しむ人もいる。多くのものを得る人がいれば、多くを失う人もいる。そんな現実を、杉本さんはそこに居る多くの人たちと一緒にそのまま表現し、さまざまな思いを受け止める作品を残した。飛行場建設に携わった市の関係者にとっては、言えなかったこと、できなかったことを、杉本さんがシンポジウムという活動やそこでできた作品を通して伝えてくれたように感じたのかもしれない。

杉本さん「僕は、それを連ねて“飛行場要らない!”と言ったわけでも何でもない。それよりも、この飛行場の中に、あそこの山の岩がこうしてあるんだよとか、ここにいた魚さんたちはどうしたかなとか、そういうことをみんながそれぞれ思いながら、その一カ月や二カ月を過ごして、次に歩いて行く、というのがいいじゃないですか(笑)」

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