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  3. 彫刻家・杉本準一郎さん・彫刻を通じて人の輪をつなぐ。

「いま、そこにあるもの」をかたどる彫刻は、
国境も世代も超えて、人の輪をつなぐ。

彫刻家

杉本 準一郎さん

1948年6月20日生まれ 滋賀県出身
人と自然に根ざし、石や土、木を素材とした作品を作り続けている。国内外のシンポジウムも幅広く手掛け、近年では彫刻を通じた国際交流に主軸を置いた活動を行っている。

日本の工業の発展を支えた技術者の卵に教えた、
アーティストの感性と人生の歩き方。

2022年3月4日~4月2日、岐阜県関ケ原にある「せきがはら人間村生活美術館」で「人間村誕生の軌跡と継承する志 杉本準一郎 彫刻展」が開催された。木を彫って作られた9つの作品はすべて、彫刻家の杉本準一郎さんの手によるものだ。このせきがはら人間村には、杉本さんの彫刻が点在する芝生の広場「スギモト・オープンエアミュージアム」もある。そこに展示されている彫刻のように、杉本さんは屋外の風景と調和する木や石の作品を得意とし、国内の小さな町で行うシンポジウムから、海外の世界遺産を舞台に行う国際的なシンポジウムまで、幅広く手掛けてきた。

関が原での展覧会を終えたばかりの杉本さんに、これまでのご活躍と、彫刻制作にかける思いについてお話をうかがった。

せきがはら人間村内「スギモトオープンエアミュージアム」には、広々とした芝生に杉本さんの彫刻が点在する。中央の作品は、杉本さんの長女が産まれた時に作った作品、「新しい世界旅行の始まり」。

―― 愛知県立常滑高校の「窯業科」で教えていらっしゃったんですね。具体的にはどのようなことを教える科なんですか。

杉本準一郎さん(彫刻家)「窯業科では、焼き物を教える以外に、実際に焼き物を焼くための窯も作ります。“窯を作ること”を目的にしながら、“窯の中に入れるもの”も作りました。窯に入れる焼き物には、いろいろな目的があるわけですね。食べ物を食べるときに使うものや、自動車の排気ガスをゼロにするために使うもの、お花やお茶の先生が花器やお点前のために使うもの……。子供たちが、自分の一度しかない人生をどう生き、どういう仕事について何を作るか、しっかり考えることができるように、焼き物や新しいセラミック、壁や建築関係の焼き物など多様なものを用意して、高校三年間で学習しながら“選択していくこと”を教えるのが、僕の仕事でした」

―― なるほど。生徒さんたちに技術を教えながら、一緒になにかを製作したこともあるんですか。

杉本さん「焼き物の大きな作品を焼く際に、窯に入れるわけですね。普通は窯屋さんに頼んだり、電気窯や重油の窯を使うことが多いわけですが、僕の場合は“窯を作る”というところから教えました。
一番大きな窯は、長さが7メートルくらい。学校の坂になったところに、粘土でアーチをいくつもいくつもかけて、ウナギの寝ているような窯を作った。で、その中に、自分たちの作品を持って行って、アーチが連続する窯の奥からずーっと、いっぱい詰めるわけです。そうして今度は一番下から火をつけるんです。そして、“初めちょろちょろ中パッパ”で、だいたい4朝夜―100時間くらいかかるので、その時に、生徒も一緒に泊まり込むんです。今だったら叱られますね(笑)。それで、4日間やるとね、何が起こるかというとね……」

―― 何が起こるんですか?

杉本さん「生徒と僕と、26人くらいで一晩中火を焚くわけね。窯はだいたい、南に向かって作るんですね。そうすれば北側が焚口になって、火の吸い込みがいいのね。だから、100時間、みんなで窯の火を見ながら南に向いているわけです。そうするとね、昼間上にあったお日様がずーっと右に傾いて夕方になって、“ああ、腹減ったな、順番でご飯食べて来いよ”って夕飯を済ませるんですね。そうすると、そのうち夜中がきますね。それでも、ずっと南を向いて火を見てるわけです。そうしましたらね、4時ごろになると、次は左側からお日様が上がってくるんだ! そうして昼頃にはまた上に行きましてね、で、夕方になるとだんだん右に行って沈んでいく。で、3日目に入ると、お日様がお尻の下を通ってね、また左から上がってくるんですね。そうするとね、“あ、地球って浮いてるんだな”ということがわかるんです。自分たちが住んでいるところは、この大きな広いところにぽっかりと浮いていて、自分のお尻の下にも空間が広がっている……」

―― ああ、なるほど(笑)

杉本さん「これはね、一番、教育しなければならないことなんです。僕らはこの地球の上で、勉強したり遊んだり、笑ったり怒ったりしながら、その毎日の中に、焼き物やセラミックを勉強するということもあるんだ……と感じることを教える! それこそが先生の役目じゃないかなぁ……、と。それを、僕は焼き物を通してできるんだなぁ……、とね。僕の仕事、面白いでしょう(笑)」

―― はい、とても(笑)。火の番という、そこから離れられない状況で4回お日様が回るのを見るなんて、他ではできない体験で、普段は意識できないことですよね。

杉本さん「そうなんですよ。彼らも初めて体験するんです。だからね、焼けて出てきた作品がゆがんでるとか、へたくそだとか、そんなのどうでもいいんですよ。そういうことに気づいてもらったら、あとは科学者だとか焼き物屋だとか、自分の道を歩いていけばいい」

―― その時の窯は、学校でずっと長く使ったんですか?

杉本さん「はい、使いました。名前も付けました。その窯はね、発掘された平安時代の窯をみんなで見に行って調べて、それを基準に、同じものを三分の一くらいの大きさに作ったんです。本物は、山の中に二十何メートルもあったんですね! 平安時代の窯はすごいぞ! それで、平安時代の窯を平成のはじめに作ったから、“平平窯(へいへいがま)“なんてね(笑)。ネーミングも大事なんですよ。そこから入っていくからね。そういうことを準備してオルガナイズするということが、先生の仕事なんです」

―― 素晴らしい授業ですね。自分もぜひ受けてみたいです。

杉本さん「それともう一つ、“そんなことはやっちゃいかん”と言われながらも、僕は石の彫刻をやるぞ、と決めて、学校の校庭で掘りました。職員室や校舎からみんなが見てるところにある、学校のロータリーの真ん中に大きな石を持ち込んで、授業の後や夏休みにそこで作って、その作品を東京の上野の美術館で発表するということを23歳からずっと、50歳を過ぎるまで続けました。」

―― それはお一人で作られたんですか?

杉本さん「はい。そうすると、僕もやりたい、私もやりたいといって、人が集まってくるわけです。担当していた学年やセラミック科だけじゃなくて、普通科の子供や卒業した人も戻ってきて、“先生、一緒にやりたい”とね。それで、学校から常滑の海へ出かけて行って、海で彫刻展をやりましょう、となって。それもやりましたね。生徒たちと、町の人たちも一緒に。そういうこと(校庭に石を持ち込んで彫刻すること)を“いいよ”って言ってくれた先生が、常滑にはいらっしゃったんですね。入ったばかりの若い教師を校長先生やみなさんが応援してくださったんで、次々と彫刻の仕事につながったんです」

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