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  3. 大須観音 貫主・岡部 快圓さん・由緒ある大須観音の第55代貫主

お休みはあの世に行ってからでいい。
無理して働き、倒れて気づいた家族の大切さ

若い頃から地元を思って尽力されてきた岡部さん。貫主となられてからは、ますます忙しい日々を送られている。外からはわかりにくい貫主としてのお仕事について、詳しくお話を伺った。

―― 現在は大須観音の長である貫主として、毎日どのようなおつとめをなさっているのでしょうか。

岡部さん「毎朝6時から6時半まで、本堂でおつとめをしてから、7時半まで1時間、名古屋の町を歩きます。それから朝飯を食べて、8時から9時まで喫茶店で商店街の人とおしゃべりをします。大須の商店街には多くの人がいるのでね、相談事も多いんです。当山がイベントのメイン会場になることもあって、イベント開催についてのいろいろな決定をすることもありますね。その後、9時から10時まで『お護摩』(真言密教の秘法で、薪を燃やしながら行うご祈祷)をします。お護摩は午後3時にもやります。これが毎日決まったおつとめです。そのほかに、年中行事などが入ります」

―― 年中行事にはどのようなものがあるんですか?

岡部さん「まず、正月に『初祈祷』があります。それから2月3日に『節分会』をします。当山の節分会では、大きな宝船に福の神と、七福神に扮した市民が乗って、それを先頭に200人の大行列が名古屋からパレードしてくるんですよ。行列には還暦や古希を迎えた人、退職した人などが扮装して歩くんですけども、音楽隊もいて、大変賑わいます。そして、当山には『鬼面』の寺宝がありますから、豆まきの時には『福はうち』とだけ声をかけるんです。ほかには、春と秋の彼岸や、8月の九万九千功徳日の法要などですね」

―― 一般的な仏教の行事以外に、大須観音ならではの行事もありますか?

岡部さん「9月9日の大正琴奉納大祭も大規模な行事です。大須は大正琴発祥の地で、境内に記念碑がありまして、その前で500人が琴を演奏します。変わったところでは、8月8日に『歯歯塚(ははづか)供養』があり、一年間に納められた歯や入れ歯を供養します。治療で抜いた歯を供養する『歯塚』というのが各地にありますが、この歯歯塚は大変珍しく、役目を終えて抜けた歯や古い入れ歯を供養する塚なんです。それから、『扇供養』を11月に行います。大須は古くから芸能が盛んで、境内に扇塚があります。その塚で、踊りをする人の扇をお納めいただいて、一緒に踊りをしてきた仲間ですからね、扇の使命を全うするために供養するという行事です。これも、日本舞踊をされる方がたくさん、踊りの着物でみえますから、大変華やかになります。毎年メディアで報道もされています」

全国でも珍しい、古くなって役目を終えた歯や入れ歯を供養するための歯歯塚。年に一度、8月8日(歯歯の日)に供養を行う。

―― 毎日おつとめもしながら、それだけの大きな行事を執り行っていらっしゃるんですか。お休みはいつ取られるのでしょうか?

岡部さん「お休みというのはないですね。あの世へ行ってから休めばいいんじゃないですか?(笑) 貫主としてのおつとめは、一般的な勤労とは考えていないんです。僧にとっては自らの修行ですね。修行には休みなんてありませんから。宗教とはそういうものだと思っています」

インタビューでうかがっただけでも、毎日のおつとめに加えて、絶え間なくお寺の行事や商店街のイベント、メディアの取材対応など、大忙しの日々であると推察できる。しかし、それ以外にも、実に広範囲に活動をされているのだ。

例えば、貫主となってから20年ほどは、地域に貢献したいと、夏休みに一週間ほど、毎朝近くの子どもたちを集めて寺子屋を開いていたそうだ。また、真言宗智山派協会が毎年行っている『海外戦没者慰霊法要』には、1993年のインド・インパールでの慰霊以降、できる限り参加してきた。その際には、過去に戦地となり多くの犠牲者を出した戦跡で参加した僧全員による法要を行い、その地域の学校に学用品を寄贈するなど、現地の人たちとの交流を深めているという。それとは別に、ベトナムなど世界各国の仏跡を訪ねる巡礼も行っている。こうした活動は、大須観音の貫主というよりも、一人の僧としての修行ともいえるものなのだろう。

貫主となって以来、20年ほど続けていた夏休みの寺子屋の風景。般若心経を唱えたり、ゲームやスイカ割をしたりして、一時は20人くらい集まるほど人気だったが、だんだん子供が少なくなり、仕事も忙しくなったため、残念ながら中断されたそう。
真言宗智山派の僧侶が「平和を祈る智山協会」を立ち上げ、昭和51(1976)年以降、毎年欠かさずグアム、サイパンなど海外の戦跡を訪れ、慰霊法要を続けてきた。その第22〜40回までの活動をまとめた記録集の表紙。第20回から参加されてきた岡部さんも、挨拶文を寄せている。

さらに、2008年から2012年の4年間、京都の真言宗智山派総本山で宗務総長もつとめた。この頃は、貫主としてのつとめと合わせ、かなりの激務であったそうだ。無事に宗務総長のつとめが終わった後、奥様とサイパンにリフレッシュの旅行をしたり、四国参りやお釈迦様の八大遺跡に御礼参りにでかけたりして、つかの間の休息を取ったが、その後はまた、貫主としての激務の日々に戻った。そして、休みなく働く岡部さんの体は、ついに悲鳴を上げたのだ。

本山で4年にわたる宗務総長のつとめを終え、リフレッシュのため奥様と旅行したサイパンの、ブーゲンビリアが美しい宿にて。奥様ともども、つかの間の休息に寛いだ表情を浮かべる。しかしこの頃、すでに快圓さんの体は限界に達していた。

岡部さん「5年前になりますか、脳出血を起こして倒れまして、それから、右半身が不自由になったんです。倒れる前は本山の仕事もあって、全く休みがなかった。無理が重なっていたんでしょうね。それからは本堂に上がれなくなって、毎朝町に出ることもできなくなりました」

―― それは大変だったのですね。毎日当たり前に行っていた日課ができなくなるのは、さぞお辛かったのではないでしょうか。

岡部さん「できなくなって困ることもありますけどね、病気のおかげで、家族の良さを実感したんですわ。倒れたときにも妻が随分支えてくれまして、車であちこちに送り迎えをしてくれますし、今も本当に助かっています。私ができなくなったつとめは息子が中心になってやってくれて、私は執務室で訪ねてくる人の相談を受けたり、できることをやっています。大病をして、家族の良さ、ありがたさを心から実感しています」

それまで、大須観音の歴史や貫主のおつとめの話をしている間は、左手に数珠を握り、落ち着いた声や炯々とした眼差し、凛とした佇まいが威風に満ちていたが、ご家族の話になった途端、柔和な笑顔を浮かべ、口調もこころなしか弾んでいるように感じた。ご家族との間にある信頼や愛情が、その雰囲気からもよく伝わってきた。

―― 貫主の代理を立派におつとめになる息子さんがいらっしゃって、そばで奥様が支えてくださるのでしたら、何より心強いですね。反対に、ご家族や周りの方にとっても、貫主の岡部さんがいらっしゃることは大きな支えになっていると思います。

岡部さん「家族や信者の方には心から感謝しています。そのためにも、自分にできることをやっています。もともと運動は好きで、中学はテニス、高校はラグビー、大学ではカヌーとずっとスポーツをやってきましたし、体は丈夫でした。今も毎日1時間は歩いています。コロナもあって外にはなかなか出られませんから、倒れてからはお寺のホールをうろうろうろうろ、冬眠明けの熊みたいに歩き回っているんですわ(笑)。それで、今までのように地域の人や信者の話を聞いています」

2006年に生まれた初孫のお初参り。この時の赤ちゃんは、今はもう高校生だそうです。やはり嬉しそうな奥様と、緊張気味の岡部快圓さん。
2021年の春休みに集まった家族の記念写真。それぞれお寺に嫁いでいたり、お寺のお仕事をしているためお正月は忙しく、なかなか集まれないそう。後列右がご長女のご家族、左が次女のご家族、前列右がご長男のご家族。ご長男本人は撮影者なので写っていないとのこと。
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