エベレストの絶景を、その目に焼き付けるべく白内障手術も受けた。
栗城史多さんとの約束を果たし、忘れ物を取りに行くために
走ることでつながってきた縁を大切にしてきた菊川さんだが、尊い絆の1本に、登山家:栗城史多さんとの出会いもあった。2017年の『エベレストマラソン』へのエントリーを決意した菊川さんは、ランナー仲間を頼って2016年11月(大阪)と翌年1月(名古屋)の2度、栗城さんの講演会に駆けつけ対面を果たしていた。
凍傷で9本の指を失ってなお、「見えない山」を登り続けていた栗城さんにとっても、同志との出会いは通じるものがあったのだろう。ここに、菊川さんの気持ちに寄り添う、彼からのメール(写真参照)がある。菊川さんの無念のリタイアを知った栗城さんがいてもたってもおられず送ったものだ。菊川さんは、高山病での5日間にもおよぶ入院を終えホテルに戻ったタイミングで、実は栗城さんも体調を崩して下山してきた直後であった。
メールを受け取った菊川さんは、嬉しさと悔しさに涙が止まらず震えたという。
栗城さんは、このメールにある通り、約1年後、8度目のエベレストに挑む。だが、2018年5月21日、体調不良でキャンプ3(標高7400m付近)からの撤退を決意し、単独下山中に滑落、35歳で帰らぬ人となる。
「栗城さんとの約束を果たさなければ……」、菊川さんは2020年の『エベレストマラソン』再チャレンジを決意したのだった。今回の低酸素トレーニングには、アクセスの良さから、低酸素ルーム『ハイアルチ』がある『フィットネスクラブ エイム』(名古屋)を選択した。また本宮山にも通った。
菊川さんが準備万端整えようとしていたのは、脚力と心肺機能だけではない。紺碧の大空を突く世界最高峰のまばゆいばかりの頂と、綿々と連なる真っ白なパノラマを、その両眼にありありと焼き付けるため、2019年12月、片眼ずつ2日に分けて白内障手術を受けたのだという。
―― 50歳代半ばでの白内障手術というのは、やや早めですね。
菊川さん「はい、のちのち私のスポンサーとして『エベレストマラソン』への挑戦を応援してくれることになった『名古屋アイクリニック』で手術を受けました。天空の壮大なパノラマを目に焼き付けるために、『エベレストマラソン』に挑んでいるといっても過言ではないので、自分の濁りはじめた水晶体を眼内レンズと入れ替える白内障手術を受けることで、自然本来の色がより鮮やかに見えるようになり、乱視も改善するときき、決断しました」
―― 白内障手術では、どこによく見える焦点を合わせたいかで眼内レンズの種類が変わってくるんですよね? 単焦点眼内レンズか、多焦点眼内レンズかなど。
菊川さん「仕事もしていますし、レースもありますので、“近く”も“遠く”も“中間距離”もよく見える多焦点レンズでお願いしたいとの希望をお伝えしました。そこで、手術前に何度も慎重に検査&診察していただいたところ、“左目は大丈夫ですが、右目は不向き”と言われました。でも、どうしても手術したい意向を伝えたところ、左右違う物だけど多焦点レンズで、との方向に。さらに検討を重ねていただいた結果、やはり右目は単焦点レンズにしようということになりました」
―― 希望のレンズと変わってしまったことで、術後の見え方に不満などはありませんか?
菊川さん「はい、単焦点とは言っても、“遠く”から“中間”は見える優秀なレンズですし、両目でうまくバランスをとって遠くも近くも見える眼にしてくださいました。
もともと右目は、白内障手術には不向きな目だったので、術後もちょっとしたトラブルがありましたが、迅速な対応と指示にて解消しました。本当に素晴らしいドクターたちです。2020年大会はコロナ禍で中止になりましたが、来年こそ、スタート地点に立ち、天空のパノラマをこの目に焼き付けて来ようと思います」
栗城さんが、その思いの丈を残した言葉に、「見えない山を登る」というものがある。この言葉が、今も、人生という「見えない山」を見据えて登り続ける同志、菊川さんの背を押してくれているという。
菊川さん「私を応援してくださった方々の想いに感謝しているからこそ、応えたいのです、何としても」 菊川さんは、自身のブログにも「人にささえられてるありがたさズンズン積もっていって、エベレストのようになっている」と記している。
小さな天馬がエベレストの懐を伸びやかに軽やかに駆け下りていく絵が浮かんだ。遠くない未来、私たちは菊川さんの目を通して、紺碧の天空にまばゆく輝く稜線のパノラマを目の当たりにすることになるのだろう。
菊川さんなら、rei-chanなら、見せてくれると信じている「見えない山」の頂を。
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