北アルプスの“天空のお散歩”で
「山」に恋をしたランナーを、紺碧の空に輝く
エベレストの白い峰々が呼んでいた
―― ちょうど、その前年、萩往還の140㎞を完踏した2015年の夏には、初登山で北アルプス縦走を体験されていて、折も折、山にもすっかり魅了されていたのですよね。
菊川さん「初めての本格的な登山で、燕(つばくろ)岳―大天井(おてんしょう)岳―常念岳の大人気コースにテント泊で挑むことになったのですが、連れて行ってくれた友人は“萩往還を走り抜いたんだから、大丈夫、大丈夫”と(笑)。おかげで快晴の壮大なパノラマに魅せられて、心震える体験をしました。あの夢のような“天空のお散歩”の感動が、私を『エベレストマラソン』を決意させた、すべてです。世界の頂に君臨したいというような、征服欲のようなものに突き動かされたのではないのです。」
―― そこで、まず試しに登ってみられたのが日本の最高峰、富士山ですね。
菊川さん「はい、9月のはじめに。想像していたよりも楽に登れました。高所に弱い体質ではないかどうかをチェックするため、山頂(3776m)で頭を振ってみて気分が悪くなるかを試してみたのですが、何ともない。高さにも自信をつけ、その翌週には、日帰りで常念岳~蝶が岳トライアングル。北アルプスの景色を一望し、エベレストへの想いを改めて強くしました。
母親一人で子ども二人を育て、決して楽ではない暮らしの中、必死な私の背中を見て、子どもたちも育ってくれました。離婚後、がむしゃらな11年を送ってきた自分の半生を振り返り、この先を考えたとき、何か物足りないような気がして、何かを残したいという想いに駆り立てられた気がします」
週1回の “おしゃべりジョギング”から、わずか10年後、陸上とは無縁だった女性が、平地や丘陵を走るだけでは飽き足らず、世界一の山脈を駆け巡ろうというのだ。
―― 子どもさん二人に不退転の決意を告げると、前述のとおり、一番の理解者である娘さんは大賛成。でも、母の身を案じた息子さんはそう易々とは首を縦に振らなかったそうですね。
菊川さん「“起こりうるアクシデントへの対処等をプレゼンして自分を納得させろ”と……。完走されたお二人ともが“代わりに自分がプレゼンしようか”とまで言ってくださいましたが、ここはどうにか自分でがんばって納得してもらい、第一関門を突破しました」
―― 出ると決めた時点で、『エベレストマラソン』まで、あと半年。一般的な長距離走の練習とはずいぶん違ってきそうですね。
菊川さん「はい、『エベレストマラソン』の練習には二本の柱が必要です。一つは低酸素トレーニング、もう一つは不整地ランです。
2017年の大会前には、11月から6カ月半、低酸素の環境に馴らす登山プログラムを受け、また週1回のペースで低酸素トレーニングに車で片道2時間かけて愛知県内の自宅から静岡県浜松市の『アローズ ジム』に通い詰めました。
山道を走る『エベレストマラソン』では、登り下りの傾斜があるというだけなく、コースも崩れた石や氷からなるモレ―ンや岩場などの不整地で、コース脇が崖ということもありますので、バランス感覚を鍛えるため、定期的に本宮山を走り込みました」
ランナー仲間がかけてくれた言葉は、いつも前向き。
みんな前に前に進み続けるのが好きな人たちだから
―― 走ることに魅了された人たちは、辞書から“留まる”がなくなってしまうようですね。天から備わった才能があり、面白くなっていったのも確かでしょうが、生活するだけで必死になってしまいそうな日々の中、何が、そこまで菊川さんを突き動かしているのでしょうか。
菊川さん「走っていると嫌なことを忘れられるんですよね。何があっても前を向かせてもらえるから、走り続けて来たのだと思います。それと…、孤独ではないと気が付かせてくれる仲間の存在があったからでしょうか」
―― 孤独ではないと……。よく、団体競技ではない陸上種目は“己との孤独な闘い”のように表現されることが多いように感じるのですが、駅伝のようにタスキをつなぐかたちではないマラソンでも一体感を感じるということですか?
菊川さん「はい、そうです。確かに個人種目ですが、マラソンの同好会の仲間とは練習で苦楽をともにしていますし、そのレースに一緒に参加しているライバル、たとえ顔も知らない人とでも、同じ苦しみを共有して乗り越えたという一体感を感じることができるんです」
―― 仲間からの励まされた経験も多かったのでしょうね。とくに、菊川さんの背を押してくれた言葉ってありましたか?
菊川さん「走ることでつながった人たちすべてが、掛けがえのない恩人です。ランナーという人種は、とびきりポジティブな考え方をされる人ばかりなんです。考えてみれば、前に前に進むのが好きな人の集まりなので、当たり前なのかもしれませんが、これまでかけてもらってきた言葉は、いつも肯定的で前向きな示唆を与えてくれるものばかりでした。ついつい乗せられて、こんなところまで来てしまいました(笑)。しかも、無責任な軽い“大丈夫”ではなく、親身に考え抜いてもらったうえでの“大丈夫”なので、言葉の重みも力強さも違ったんです」
菊川さんは、走ることを通して得た「仲間との絆」を頼りに、生きるフィールドをどんどんと開拓し、人生を生き抜く持久力をめきめきとつけていったのだ。
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