飄々と気さくに話す畑内さんだが、その表情や口振りから「水先人」という仕事に対する誇りと、30年以上憧れてきた仕事ができる喜びも感じられた。
―― あらためて、「水先人」というお仕事について教えてください。
畑内さん「日本の主要な港には、年間で約9万隻の船が往来し、9億トンに及ぶ物資が運ばれてきます。そのため、国ごとに海上のルールが定められていて、すべての船はそのルールに従わなくてはなりません。しかし、世界中の港の状況や交通ルールをすべて把握することは不可能です。そこで必要となる職業が我々水先人です。水先人は、英語ではPILOT(パイロット)と呼ばれていて、船を安全に入出港させるため、港やその周辺の水域の事情に精通し、船長のアドバイザーとして出入港する船に乗船します。
伊勢三河湾では、1万トン以上の船には水先人を乗せないといけないという決まりがあり、私が担当する伊勢三河湾水先区には110名ほどの水先人がいます。水先人は、船を安全かつ効率的に導くプロフェッショナルとして昼夜問わず活躍しています。」
―― それは粋ですねぇ(笑)。
畑内さん「水先人を搬送するパイロットボートに乗りこんで担当する船まで行き、パイロットラダーというはしごを使って船上に登ります。そこからは英語で船長や船員たちとコミュニケーションをとって、この水域や安全についてアドバイスを行います。
船員にはフィリピン人がとても多く、次いで東ヨーロッパの方、最近はオセアニアやアフリカの船員も増えました。ロシア人の船長と出会うこともありますね。本当に世界中の船乗りと出会えます。」
―― 英語でコミュニケーションをとるのも大変だと思いますが、伊勢湾・三河湾の海を知り尽くしている必要もあるのですよね?
畑内さん「伊勢湾・三河湾の海図はすべて頭に入っています。水先人になるための試験では、B1サイズの真っ白の用紙に鉛筆と定規を使って海図を書く試験が出るんですよ。岸壁の形やここの水深は◯◯メートルなど、何も見ないでも描けるくらい担当水域に精通していないと水先人にはなれないんです。」
海を知り尽くしたプロの知見を総動員して
洋上に数時間も漂流していた乗組員の命を救う。
―― 30年過ごされた船員時代の思い出深いエピソードがあったらお聞かせください。
畑内さん「船員時代で忘れられないのは、最初に就職したタンカー会社で一等航海士として乗船していた時のことです。その日の業務が終わって船長と一杯飲もうとしていたところ、突然の船内連絡が入りました。台湾と沖縄の間で、私が乗っている船の乗務員が海に落ちたというんです。頭を切り替えて船長と相談しながら、転落した乗務員の救助をすることになりました。その日の海流を計算してあたりをつけ、その周辺を行ったり来たりし、救命道具を流したりもしました。
そして4~5時間ほどが経った頃、“広い海の中で、この一点に流されてくるに違いない”と感じた場所を捜索していると、海上から人のかすかな声が聞こえてきたんです!その乗務員はさきほど私たちが流した救命道具にしがみついていました。予測がピタリと当たり、乗務員の命を助けることができたんです。これが一番の思い出ですね。」
―― 広大な海のたった1点を予測するって、本当にすごいですね。思わず鳥肌が立ちました。次に水先人になられてからのエピソードも教えていただけますか。
畑内さん「水先人になってから15年で2,380隻の水先きょう導を行なってきたのですが、事故が一度も起きていないことは、水先人として誇りに思っています。もちろん、各々の思い出はありますが、無事故と安心をお届けするのが水先人の使命なので、一度の負けもなく全うできているのが喜びです。」
―― 船と港の安全を守る、責任あるお仕事だと感じました。水先人の仕事をするにあたって日々大切にされていることは何でしょうか?
畑内さん「海の世界には『船員の常務』または『グッドシーマンシップ』と呼ばれる船員の共通規範がありまして、それをいつも心がけています。船同士で絶対に事故を起こさないよう、お互い譲り合うのが船員の常務・グッドシーマンシップの信条です。船の大小などによる優先関係はなく、ひとつひとつの船が“駒”となってトータルの中で動くことを考え、事故を未然に防ぎます。海上ではさまざまな条件があります。たとえば波が高い場面では操縦性能の高い大型船が動き、狭い場所では小型船が譲るなど、相手を尊重するのが船員の常務であり、グッドシーマンシップなんです。」
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