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  3. 幾重にも重なる透過光が綾なす彩り ―ガラスと美濃和紙のマリアージュ―

褪せることのない大聖堂のステンドグラスの光彩に魅了され、
60歳を前に工業デザイナーからステンドグラス作家へと転身

牧野さんは60歳まであと1年というタイミングで大手企業を早期退職し、ステンドグラス作家に転身したのだという。牧野さんを製作に駆り立てたステンドグラスの魅力をうかがう前に、少しだけガラスと人類の歴史に触れておきたい。

ガラスの歴史は想像以上に古い。起源は、紀元前3000年以前の古代メソポタミア、あるいはエジプト文明まで遡る。真偽はともかく、フェニキア(現シリアの地中海沿岸とレバノン付近)の商人が、地中海の東海岸のベールス河口で炊事のために炉をつくろうとしたが、ちょうどよい石が見当たらず、やむなく積み荷だった天然ソーダ(当時は石鹸がわりに用いられていた)を代用し、そこに薪をくべ火を起こしたところ、ソーダと海岸の砂が反応して溶け出し、偶然の産物としてのガラスがキラリと生まれ落ちたという伝承が有名だ。

それから数千年も間、ガラスはたいへん貴重な宝飾品としてのみつくられていたが、紀元5世紀初頭から板ガラスが登場して、ほどなく色とりどりのステンドグラスがつくられはじめたのだそう。

11世紀に入るとステンドグラスは黄金期を迎え、のちの世に世界遺産となる教会が次々に誕生していく。そして12世紀になって建築技術が発展し、空中に柱をアーチ状に架けたように張り出す飛梁(とびはり)が発明されると、天井はより高く、壁は薄くなった。このゴシック様式の誕生により、大きな窓が可能となった大聖堂には、壁一面に壮大なスケールのステンドグラスがつくられ、建造物の胎内を神秘的な光で満たしていった。

牧野さんの人生の大きな転機となったのが、会社勤めをされていた頃、ヨーロッパ諸国への海外出張の折に立ち寄った、これら大聖堂のステンドグラスとの出会いであった。

――とくに今でも目に焼き付いているステンドグラスはありますか?

牧野さん「イタリア・ミラノの世界最大級のゴシック建築といわれる『ドゥオーモ(大聖堂)』のステンドグラスは圧巻でした。薄暗い石造りの聖堂内を唯一照らしているのが天井までそびえる壁一面のステンドグラスからの光なのですが、その一枚一枚が聖書の物語を伝えるものになっています。このステンドグラスがつくられた当時は字が読める人が少なく、聖書の教えをステンドグラスという色あせない絵巻物のかたちで伝える必要があったのです。

それともう一つ、まったく違う系統の作品ですが、スペイン・バルセロナにある、ガウディが手掛けた『サグラダファミリア』のステンドグラスにも、深い感銘を受けました。自然界のありとあらゆる色彩をグラデ―ションで表現したようなスケールの大きな作品です」

イタリア・ミラノ『ドゥオーモ(大聖堂)』のステンドグラス。
スペイン・バルセロナ『サグラダファミリア』のステンドグラス。

――『サグラダファミリア』は、説明的な表現ではなく、建物そのもので聖書を感じるつくりになっている“石の聖書”だと聞いたことがあります。多くの国の建築を視察されていたのですね。どのようなお仕事をされていたのでしょうか?

牧野さん「会社に勤めていた頃は、『三菱電機』でエレベーターのデザインを手掛けていました。あの四角い箱のどこをどうデザインしていたのかと不思議に思われるかもしれませんが、高級ホテルや高層ビルを持つ企業などからの発注を受けて、ブランドイメージを打ち出したエレベーターの意匠を手掛けていました。例えば、窓のないエレベーター内の照明を時刻に合わせて自動調光で変化させて、一日中、屋内で働く方々にも朝から夜へ体内時計が移ろっていく様を肌で感じ取っていただけるようなエレベーターも手掛けたりいたしました」

――もともとクリエイティブなお仕事をされていた方だったのですね。ステンドグラスのどこに強く惹かれていったのでしょうか?

牧野さん「エレベーターのデザインは、とても面白い仕事でしたが、お客様のリクエストに応える必要がありますので、コスト面などを考慮した素材選びやデザインになるのは、やむを得ないことです。ただ私、樹脂のような“合成素材”ではなく、木や和紙や糸、そして鉄やガラスのような、いわゆる“無垢の素材”と”手づくり”がたまらなく好きなんです。大聖堂のステンドグラスは、H型の鉛のレールでガラス同士を組み合わせてつくられています。それはもう圧倒的な存在感を放っていました。コストにとらわれることなく “無垢の素材”をふんだんに使ったステンドグラスで、光のイメージを具現化したいという思いにとりつかれていきました」

エレベーターのデザインとステンドグラス……、まったく異なる世界のようだが、なるほど牧野さんは“光の魔術師”なのだ。2002年、会社勤めを1年早めに切り上げて59歳で退職。以来、フリーでインテリア・デザイナーとしてお仕事をされつつ、ステンドグラスの創作に打ち込んで来られた牧野さん。ステンドグラスの世界では国内唯一の公募展『ステンドグラス公募展』には、最初に応募した1998年から6回出品し、そのすべてが入選。2007年には国際現代美術家協会『ima展』で見事、入賞を果たし、これまでに銀座での個展など、展覧会も多数開催されている。

――“世界をまたにかけるプロのクリエーターが、手掛ける領域を少し広げた”という見方をすれば、転身早々の活躍ぶりに感心すること自体が失礼な行為なのかもしれませんが、会社にお勤めのときから、もはやステンドグラス作家としても注目されるご存在だったのですね。

牧野さん「勤務先が名古屋近郊にあって、たまたま市内にアートガラスの製作や販売を行う国内唯一の専門商社『十篠商事』(株式会社十篠)がありまして、退社する8年くらい前から毎週日曜日にそこに通い、ステンドグラスの基本的な技術を学ぶことができたんです。しかも、いざ作品をつくるときにも、直に十篠商事に足を運んで風合いや色味の違うガラスを、一枚、一枚、手に取って吟味できていましたので、そこはかなり有利だったんだと思いますよ。ほとんどの作家さんは、カタログを見て注文せざるを得ないわけですから、いざガラスが到着してみたらイメージと違うということもおありでしょう」

などと謙遜される牧野さんの品のあるお人柄が、作品からにもにじみ出ている。“初心忘れるべからず”とでも言いたげにアトリエの入り口に陣取っているのは、1998年はじめて『公募ステンドグラス美術展』に出展し入選を果たした『Midnight Story』である。サグラダファミリアにインスパイアされた作品だという。

左:『Midnight Story』(1998年公募ステングラス美術展入選作品)
右:『甦る光彩』2019。梯子に登り、ひこばえに愛おしそうに水をやる人影は牧野さんご本人とか。
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