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百歳の絵手紙作家が描く、穏やかな日常の瑞々しい命

絵手紙作家

杉浦 冨貴子さん

1920年11月1日生まれ 愛知県春日井市出身
70代後半から太極拳、80歳から15年間卓球と、興味のあることに積極的に取り組む姿勢が長寿の秘訣。100歳を迎えても「絵手紙作家」として活躍する中、数々の心温まる作品を残し、2021年永眠されました。

何歳からでも遅すぎるということはないんですよ。
私の、この体は80歳から15年続けた卓球が下地。

百歳になられて、なお、サポート機関の手を借りることなく一人暮らしを続け、なおかつ現役の絵手紙作家として活躍される女性と聞いて、どんな方をイメージされるだろうか。

杉浦冨貴子さんは、2020年10月5日~12月16日まで『名古屋アイクリニック』で開かれていた『光もとめてⅡ』に三女の水谷寿美子さん(油絵画家)とともに出展。眼科の手術で、人生に光を取り戻したアーティストたちが、術後、息を吹き返したごとくに素晴らしい作品を生みだし続けている様が、同院を訪れる多くの患者さんたちを勇気づけている。

その日は、ちょうど母娘でクリニックにお越しになると聞きつけ、院内で取材させていただくことになった。誠に失礼ながら、そのご年齢から年輪を重ねたご容貌を想像していたので、杉浦さんと対面したときには、驚きのあまり一瞬声を失ってしまった。スッとまっすぐ伸びた背筋に、美しくセットされた華やかな御髪、色白のお肌、気品あふれる貴婦人を前に、記者も慌てて自分の猫背を伸ばしたほどである。

―― つい最近11月1日に100歳のお誕生日をお迎えになったとうかがいました。おめでとうございます。ここまで長生きされているだけでも素晴らしいのに、現役でご活躍されていて、本当に驚きます。日々、どんなことに気を付けて、お過ごしなのでしょうか?

杉浦さん「私が80歳のときに、7歳上だった夫を亡くしましてね……。それから20年、少しでも体力が保てるようにと、肉、魚、卵といったタンパク質を毎日の食事にしっかり取り入れるように気を付けて参りました」

―― 姿勢もたいへんお綺麗ですが、何か運動もされてきたのでしょうか?

杉浦さん「70歳代後半から4年くらいは太極拳をしていたのですが、あれは足を上げてくるりと回りますでしょう。次第に、回りきる前に、どうしても足が落ちてしまうようになって……。それで、80歳からはラケットを持つ競技がしたいわと思い、太極拳はやめて卓球をはじめました。こちらは15年間、95歳まで続けました。それが、こうして百歳を迎えることができた身体の下地になっていると思っています」

水谷寿美子さん(杉浦さんの三女:油絵画家)「卓球は、2団体に所属していたんですが、そのうちの一つは母自らが、同年代の卓球仲間を集めて立ち上げたんですよ。90歳過ぎてからも、母が練習場の鍵の管理をしていました」

油絵画家で三女の水谷寿美子さん(右側)。2020年『名古屋アイクリニック』で開催された『光もとめてⅡ展』に母娘で出展。待合室に飾られた、それぞれの作品の前で。

―― 私たち凡人は、「もう歳だから」「今さら」などと、ついつい自分で限界という名の高い高い壁を築いておいて、それを言い訳にして留飲を下げているのだな……とハッとさせられました。衰えてきたからと運動すべてを諦めてしまうのではなく、できること、楽しめることを探せばいいのですね。

杉浦さん「そう思います。何歳からでも遅すぎるなんてことはないですよ」

和紙に、割りばしを削ってつくった筆に墨をつけて輪郭を描くのが、お気に入りとか。はんなり優しいタッチで彩色された草花や果物、野菜が、見るものの心を癒す杉浦さんの作品たち。

寿美子さん「私も、49歳から2年カナダに留学していたんですが、その頃、夫の“勉強ばかりしていないで、何か好きなこともやってみたら?”という言葉に背を押されて水彩画を向こうで習ったんです。それとスキー! こちらは1シーズンに25回は行きましたね」

―― 自らの可能性を決して眠らせない寿美子さんの行動力も、まさにお母さま譲り。帰国後、絵の世界を極めたいと思った寿美子さんは、基礎となるデッサンとクロッキーから学ぶことにされたそう。

寿美子さん「80歳になったときに、もし旅行もままならないようになっていたら、絵を描いて、畑を耕して生きていきたいと思ったんです。80歳まで、あと5年ですが、まだ動けそうだから、そのような暮らしは、もう少し先かしらね(笑)。

その後、たまたま良い先生に巡り合って、油(油絵)を描くようになっていきました。美術雑誌の『一枚の絵』にも載っている荒川弘先生という方で、十数年、油絵を習いました。その先生からの指導で、いついい絵が描けるようになるかわからないから、最初から“本物を使いなさい”と言われ、私、マチスの色使いが好きだったので、彼の使っていたブルックスの絵の具を京都の画材屋さんから取り寄せて、オイルも100年以上絵を持たせることができるものでなければと、ヨーロッパでオイルの研究をされてきた近藤義貞先生が調合されているオイルを使って描いてきました。

それで5年前、70歳になったときに、これまで描いてきた油絵50枚の個展を『ノリタケの森ギャラリー』で開きました。お友だちにいっぺんに会えるでしょう? 生前葬の代わりになると思って(笑)。結局、6日間で、1067人もの方が見に来てくださいました」

寿美子さんは、笑顔がよく似合う、たいへん朗らかで、若々しい方で、これまた到底75歳には見えない。
30年先のヴィジョンを明確に持ち、それに向かって、今できることをやっておく。杉浦母娘の共通点は、人生を歩く姿勢が良いところではないだろうか。人生を歩むとき、ついつい足元の悪さやぬかるみに気をとられ、目線が下に向きがちである。ところが、杉浦さんも寿美子さんも、お顔はしっかりと前を向き、目線は未来の希望を見やるがごとく、はるか水平線をとらえているのだ。

寿美子さんは、ぬいぐるみや人形を絵の題材に選ぶことが多い。そこで『寿美子展』では、絵のモデルとなったぬいぐるみや人形を、それぞれの作品の前に展示し、楽しんでもらったという。人柄のにじむ温かな色遣いの作品群に華やぐ会場にて。右から杉浦さん、寿美子さん、杉浦さんの長女・日南子さん。
寿美子さんの描く女性は、しなやかで自由で活力にあふれていて、大変に魅力的である。こちらは2015年晩秋に『ノリタケの森ギャラリー』(名古屋市)で開催された『寿美子の部屋』に駆け付けた『名古屋アイクリニック』の院長・中村友昭先生や広報スタッフ。
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